過去のお話・・・はじめの結婚から母子家庭時代のこと。
気がついたらあたしは、子供大っ嫌いな大人になっていた。
電車の中では泣くわおもちゃ売り場では騒ぐわで
どうしたらこんなのが可愛いと思えるの?うるさいだけじゃん!
子供なんてサイテー!って思って過ごしてた。
それと連動してかどうかは不明だが、結婚もするもんじゃない、って思ってた。
なぜ他人の為に食事を作り洗濯をしなければいけないのか。
冗談じゃない、あたしは一人で生きていく、ずっとそう思ってた。
それなりに恋をしたけれど、やっぱり結婚する気にはならなかった。
ところが、なにがどうなったのか結婚してしまった。
当時は「どうせこの人と結婚するんだろうな、だったら今してもいいかな」と思った。
結婚するときには「ダメなら別れりゃいいや」位の気持ちだった事だけは本当だ。
結婚生活はそれなりにうまくいってたと思う。
それはそれはごく普通の家庭のようなもめ事はあったけれど、
何度か話し合い解決してきた。


絶対欲しくないと思ってそう話し合ってきたけどついに子供ができてしまった。
産まれたら産まれたでそれは目に入れても痛くない可愛さで、
これには我ながら驚いた。あれだけ嫌いだった子供なのに。
手もかからずすくすくと育ってくれたのもあるかもしれない。


亭主はある時脱サラをして、事業をはじめてしまった。
向いていたかどうかは・・・きっと向いてなかったに違いない。
一気に我が家は貧乏になり、お金で揉めるようになった。
家から大事なものを黙って持ち出すようになった。
何でも黙って行動するようになった。
・・・・・これが不仲の始まりだったと思う。


亭主の会社で新聞広告を発行していた。その原稿を書いてくれと頼まれていた。
あたしはその紙に「あなたと離婚したいんだけど」と書いた。
もう耐えられなかった。何が?と訊かれても答えたくないほどだ。
同じ屋根の下にいるのが嫌、同じ部屋の空気を吸ってるのが嫌、
すれ違って体温を感じるのも嫌、肩が触れ合うなんて最悪・・・。
詳しく書けないのが申し訳ないけど、決して気まぐれな主婦のワガママで
こうなったのではない。例えるならDV(ドメスティックバイオレンス)のようなものだろうか。
決して逃れられない状況におかれてしまったのである。
一緒にいたらあたしは気が狂ってしまう、子供にも触れて欲しくない、
そんな中での離婚通告であった。


彼は「チャンスをくれないか、見ててくれ」と言った。
すぐに別れてくれないんじゃ仕方ない。
3ヶ月経った。亭主は何も言ってこない、なんだよ、どうしたんだよ。
頭にきた。ちょうどその頃親友の結婚式があって九州に飛んだ。
長崎に一週間、ついでだし、と博多に2週間、どうせなら、と田舎(青森)に
一週間、丸一ヶ月の間一歳半の子を連れて家出をしたのだ。
九州に行くのは知っていたのだけど詳しく行き先を伝えた訳じゃなかった。
が、あまりに帰ってこないのであたしのアドレス帳を見て
九州の友達に片っ端から電話したらしい。
それも腹が立った。友達に「電話だよ」と言われた時には呆れた。
何の用なのかと思えば「いつ帰ってくるんだ?」
ばっかじゃないの、帰りたくないからこうやってるんじゃん!


帰ったらあたしが大事にしていた身長ほどのゴールドクレストの木が枯れていた。
クリスマスにはこれを飾り付けてツリーにしてたのに。
それを見た瞬間、水をあげるだけなのになぜそれができない?
この木と一緒であたし達はもう枯れてるんだって思った。


彼の正体は後々わかった。非常に愛情の薄い人間である。
どんな事をしてでもあたしを子供を守ろう、などと思わない人種なのだ。
あたしと子供・・・に限らず、自分が一番なので他の物には愛情を注げないのだ。
貧乏な中でもあたしには収入があった。
働いていたわけでもない、しかしそれはすぐに出て行ってしまうお金なのだ。
でもそれを当てにして亭主は家にお金を入れてくれなかった。
申し訳ないがそれを使ってくれ、との言葉はなかった。
後で聞いた話だが我が家を心配してくれた社員に
「あいつらは何とかやってんじゃないか?」とのたまわったそうである。
それでも亭主は離婚をずるずると引き延ばした。
「妹の結婚」「銀行の融資」・・・最後は知り合いの鶴の一声である「別れてしまえ〜!」
別れるのを渋ったのもその知り合いにやり直してみろ、と言われてたそうで、
彼本人の意志はどこにもなかった。言われるがままだった。
それを知った時にはその知り合いを恨んだものだ、
なぜ初めからそう言ってくれなかったのかと。この1年を無駄にしたじゃないか!と。


11月の終わりに離婚通告をし、9月に別居、そして12月にめでたく離婚届を提出したのである。
その1年で亭主の事をやっと分かったような気がする。すべてが嘘で固められていた。
小学生でもつかないような嘘を平気でつき、蓋をあけてみたら家中嘘に溢れ返っていた。
なぜにこんな馬鹿馬鹿しい嘘をつかなければいけないのか理解不可能だった。
どこかが回路が間違っている。別れようと思って正解だった。
こんな人は父親であってはならない、この子はあたしが立派に育てなきゃ、そう思った。



離婚届を提出し、同時に「ひとり親家庭」としての手続きを踏んだ。
保育園の申し込み、児童扶養手当の申請、市営住宅の詳細、健康保険証などなど。
新しい戸籍ができても、亭主の戸籍からあたしだけが抜けた状態、
子供の戸籍をあたしの戸籍に移す為に家庭裁判所へ行った。
ん〜、離婚するってのは手続きが大変なんだ、初めてだから仕方ないか、と
訳の分からない納得をしながら進めていった。
その後は、職探し・転居・大貧乏・また転居、と大忙しだった。
落ち着いたのは今の住居になってからだろう、運良く市営住宅に当選し、もう3年になる。


仕事を始めてすぐにインフルエンザに子供と一緒にかかってしまい、
一週間で3キロ、その後のハードな仕事で半年で10キロ痩せた。
今までなんだかんだ言いながら楽してたのだ?なんて事は思いたくもなかったが、
実際のところそうなのであろう。それだけ痩せられるほど太ってたのに。
何をやっても痩せなかったのに、というのはとんだ勘違いだったのだ。


子供との関係(当時2歳半)は始めは最悪だった・・・というか、
あたしの余裕がなくなってしまった。
些細な事で腹が立ってしまうし、自分で自分を持て余してしまっていた。
今は大分余裕を取り戻しているけどそれでもまだ、
考え事をしたいのに子供はウルサイし、いつでも1対1だし、
だんだんあたしの言う事にそっくりなるし、どれもこれもが苛立ちの原因になった。
お互いに気が逸れる事がないのだから。これは今でも変わっていない。
大きくなって知恵がついたりすると性質が悪い。
手がかからなくなった分、頭がかかるようになった(?)。
自分のことはある程度できるようになるが、質問が多くなるのだ。
その度に返事をしなきゃいけないのは結構辛いものがある。


ある日「お父さんは?」と訊かれた。あたしは「事故で死んだ」と答えた。
もう記憶にも残ってないし二度と会わせるつもりもなかったからだ。
写真は全部処分してしまった。跡形もなく・・・消えて欲しい、そう思って。


最終更新日  2001年12月